TOP>境内案内
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先の社号標が東日本大震災で倒壊し、山岡鉄舟書により再建。山岡鉄舟(本名高歩、通称鉄太郎)は、幕末維新期の剣客で、一刀正伝無刀流の開祖。西郷隆盛を説き、勝海舟との会談を成功させ江戸無血開城に貢献しました。
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江戸時代、月に六回、三と八の日に市が開かれた六斉市の守り神で、「三八稲荷」と親しまれ商売繁盛が祈念されました。
この地方の米の相場はこの市で決まりました。
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ご祭神
菅原道真命(すがわらのみちざねのみこと)
岡潔大人神霊(おかきよしうし)
岡潔大人は多変数解析函数論で世界的な業績を上げ学士院賞・文化勲章を受章した世界的な数学者。平成13年に生誕100年を記念して合祀されました。
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ご祭神
大山咋命(おおやまくいのみこと)
酒造の神として特に酒類醸造業者に尊崇されています。毎年醸造開始の12月に祈願祭が執り行われています。江戸時代の総檜造りで、明治の大火を免れました。
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東日本大震災により大破し、氏子篤志者の奉賛により平成28年9月完成しました。
太々神楽を始め各種芸能の伝承、発表の場として活用されています。
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松尾芭蕉は元禄2年(1689年)に「奥の細道」の旅の途次、須賀川に8日間滞在しました。その間に当神社に参詣したことが、曽良の「随行日記」4月24日の条に記されています。碑には曽良の真筆の日記の関係箇所を刻字しました。
「うらみせて・・・」の句は、『宗祇戻し』から写刻しています。この句は岩波版「芭蕉俳句集」(492)、加藤 楸邨「芭蕉全句」(525)等に芭蕉の句として採録されています。
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「夏の夜の 持ちこたえなし 峯の松」
藤井晋流は延宝8年(1680年)群馬県小泉村生。のち須賀川の藤井源右衛門の長女久須と結婚、奥州御御買米御用商となり、大型回船22隻をもつ豪商となりました。俳諧を宝井其角に師事し、須賀川では相良等躬の後継者となりました。
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「鶴亀も 下戸にはあらし 膳飛羅起(ぜんひらき)」
石井雨考は、通称久右衛門といい、寛延2年(1749年)酒造業を営む石井家に入りました。幼い頃から俳諧を学び、俳号は夜話亭雨考。芭蕉翁を尊崇し、軒の栗、五月雨の句碑を建立しました。文政10年(1827年)歿。
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「けふはかりと翁の宣ひしか此うえに 又としよらん 初時雨」」
市原多代女は、安永5年(1776年)須賀川の酒造業で大庄屋を勤めた市原家に生まれ、本名はたよ。31歳で夫を失い、石井雨考の勧めで俳諧の道に入り、晴霞庵多代女と号し、芭蕉を崇敬して多くの秀句を作り全国にその名を馳せました。慶応元年(1865年)90才で歿。
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「山里の 桑に昼顔 あはれなり」
正岡子規は、明治26年の東北旅行の途次須賀川に立ち寄り、7月21日に道山壮山を訪ねています。その折の子規の俳句が、翌年に壮山が刊行した還暦句集『亀齢集』に掲載されました。冒頭の句がそれです。この句碑では、芭蕉と自筆を優先されて選定しました。
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「白牡丹といふといへとも 紅ほのか」」」
子規の高弟虚子の俳句中から、牡丹の町須賀川に相応しい牡丹の秀句として選句。小諸市高浜虚子記念館所蔵の掛け軸から転写。
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「秋風や 一盞の酒に ひびきあり」
道山草太郎は俳諧誌「桔槹」の主宰者。原石鼎に師事、NHKラジオ俳句選者を務めました。
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「あらたのし 田毎にうつる 月のかげ」
小林久敬は、文政4年(1821年)当地に生まれ、生涯をかけて安積疏水を提唱し続けた先駆者。全財産をこの事業に擲ち清貧の中に没し、当地に葬られました。
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神社に参拝する前にはここで手を洗い、口を清めます。
またご神域に湧き出る自然の地下水は「おいしい水」として多くの人に好まれ、ペットボトル片手に参拝に訪れる方が跡を絶ちません。
※神様からいただくお水です。大量に汲む、ホースを使用するなど、マナーに反することは避け、いただいた後には必ず神様に感謝の気持ちを捧げましょう。
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手水舎向かいの門をくぐり、左に進むと社務所に通じます。
お守りの頒布、ご祈祷のご予約を希望される方はこちらへお越しください。
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宮本・諏訪町町内会の企画、尽力により創られた遊歩道。
木漏れ日の下、水路に遊ぶ魚を愛でるもよし、12基の赤い行灯でライトアップされた路を逍遥するもよし、地元のみならず神社や諏訪町を訪れる方々にも親しまれている歩道です。
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日本古来の自然種であるエドヒガン桜の樹齢200年を超す古木が群生しています。周囲が杉の森で囲まれていることから、純粋な種が収穫でき、(財)日本花の会が、毎年この種子から生まれた苗木を台木にして数万本の栽培種の桜を育成し、日本国内のみならず海外へも配布しています。
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